★名古屋「自分の死を考える集い」とは

1.背景 <日本の現状と死を取り巻く課題>

総務省の発表によると、日本は2007年以降65才以上の高齢者の割合が21%以上となり、超高齢社会になりました。内閣府の高齢社会白書では、最期を迎えたい場所「病院26.4%」「自宅54.6%」(2007年)と高齢者が希望しているにもかかわらず、実際の死亡場所は「病院77.9%」「自宅12.6%」(2010年)となっています。また、終活に関しては注目度も高まっており、2012年には「終活という言葉を知っている」10%から2015年には50%になりました。しかし、「エンディングノートを書いている人」は4.4%から6.9%に上昇したにとどまっており、何らかの準備をしている人はまだまだ少ない。

こうした現状は、死に対する恐怖や、死に対して病院で何とかしてくれるのではないかという医療に対する信仰、そして最も大きな理由は、病院で亡くなる人が多く身近な者の死を経験する機会が少なくなり、自分がいつかは死に直面するという現実を受け入れがたいものにしているといわれています。私は25年以上看護師をしてきましたが、亡くなる人の傍で「この死に方でご本人は本望なのか?」と疑問に思うことが多くありました。それは、「こうして死にたい」「あれをやってから死にたい」そんな主体的な死に方をご本人が考えていらっしゃらなかったからです。本人の希望がなければ支援することもできません。私の父は癌で亡くなりました。その最期の言葉は「もう眠る!」、そうしてその3時間後には息を引き取りました。痛みもなく、自宅で息を引き取った父の死にっぷりを見て、こんな自然な痛みを伴わない死があるのだ、と新しい死に方を知りびっくりしたことを思い出します。

前述したような、死に対するあいまいなニーズと病院で行われる過剰な医療サービスによって、医療崩壊・医療難民などが社会問題になっています。一人一人が死を身近に感じ、どのように死にたいか、死ぬ場所・死に方を考えておくことは、自分や家族の命を丁寧に扱うための心構えになりますし、そして社会とっても無駄な医療を使わないためにも重要と考えます。

 

2.目的<死を取り巻く問題を一人一人が意識できる社会にするために>

死を自分のこととして実感し、どう死にたいかを考える機会は超高齢社会では重要です。それも健康なうちに家族と話し合えることが大切です。1996年から中村仁一医師は京都で「自分の死を考える集い」を毎月開催してきました。中には「模擬葬儀」として納棺体験があったり、医療費問題を話されたり毎回テーマは異なります。また東京三鷹でも看護師が定期的に開催しています。

名古屋でも以前開催されていましたが、3年前から開催されていません。死を身近に感じ、生きること死ぬことを考える機会を増やし、死に関して迷える人たちが穏やかな死を迎えられる社会にしたいと切に願い、集いの復活を決めました。3人に一人が65才以上になるという2025年問題、特に愛知県は2010年から2025年までの都道府県別高齢者人口推移では、愛知県は第5位、高齢化率トップクラスです。名古屋「自分の死を考える集い」復活はそのような背景からも必要だと考えます。

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